フロントフィールド


社説2007

この欄は当社の「社説」です。
「社説」と題した文章は実は一年前から書いています。
1説〜26説。
その続きをこのホームページ上で書いていこうと思います。
27説〜いつまで続くのでしょうか。

2007年 2月20日 前原謙一
2007年12月31日
第39説「大晦日」
 あっという間に2007年が終わってしまいました。今年一番の出来事は、12月26日に妹が出産しました。指の長い女の子です。きっと長身の女性に成長することでしょう。本日、病院から我が家に戻って来ています。名前は莉聖(りせ)ちゃん。今日初対面でした。子供の存在感というのは大したもので、何もしていなくて「あぁぁぁぁ」とか言っているだけで主役です。来年3月やっと作戦ガラパゴスMission1「コンスタンツェ モーツァルト」公演だ。う〜ん。本番まだだったっけ?と思ってしまうところが変な感じだ。今、上演台本をコピーして発送作業に入ったとこだ。年賀状代わりに台本到着といったところか。今年、年賀状まだ書いてない。今年は無理か。。。12月は何に忙しかったのか覚えていないくらい忙しかったなぁ。
 亥年の目標は、あれこれ考えるより行動あるのみ。不言実行だったけど、わりといろいろできたのではないかと思います。行動が多かったね。会社も設立したし、演劇企画も主宰でスタートしたし。芝居も一本書いてみたし。一本だったっけ?原作とあまりに違う上演台本を書いたので二本書いたような錯覚に陥るな。。
 来年は年男。ちょっと考える年にしようかなと思います。今年行動したことが結果としてどう結実するのかを分析しようかなと。周りの人のことも観察しよう。昨年に限らず、あまり他人のすることには興味ないし、干渉するのもされるのも嫌いなので特に見てこなかったけれど、時には他者に目を向けてみるのもいいかなと。
 まずは、会社の初決算だね。うちの会社は12月決算にしてるので、年明けたら早々にまとめないとぉ。
 では、さらば、平成19年。よろしく平成20年。
2007年11月15日
第38説 大阪市長選挙
 昨日、11月14日、中之島中央公会堂にて現在大阪市長に立候補している、はしづめ紳也さんの決起集会に行ってきました。ステージ進行スタッフとして行ったのですが、選挙活動だからギャラは出ません。まぁ、それはともかく選挙事務所や決起集会の現場など見れて興味深々の活動でした。選挙事務所スタッフの方々は、心底、はしもとさんの応援をしておられました。
 私自身は大阪市民では無いので投票の権利も無いのですが、大阪市という場所には深く関わっている一員ではあります。大阪市をよりよい方向に向かわせるのは大阪市民自身である。という至極当たり前のことを強く感じましたね。
 街創りは街の住人が主役で無くては成立しない。政治への不参加こそ、最大の無責任。とも言えるかも知れません。
 誰かがよくしてくれる。誰かのせいでよくならない。ではいかんなと。権利を持っている人は投票にはいきましょうね。誰に入れても構いません。誰に入れてよいかわからない?
 調べなさい!そんなもの!選挙権を持っているのは「大人」だからですよ!

 あまり政治とは関係ありませんが中央公会堂という建物は外観も内観も、とっても美しかったです。もっともっと活用されないとなぁと思いましたね。値段も安いし。公共施設の合理的な活用計画とか、そんな分野で私も社会貢献できるといいなとちょっと思いました。ちょっとづつ実行していきます!
2007年11月15日
第37説 「華」
 先日、京都の非公開庭園で開催したイベントに行ってきました。日本を代表するフラワーアーティスト(フラワーデザイナーと表記する場合もあるようです。)、中山佳巳さんと日坂明広さんによる共同主催イベントです。元々運営面等で協力する可能性があったイベントなのですが、今回は残念ながら参加には至らなかったのです。お話をいただいたのは第33説で紹介しました「おばちゃん」からです。久しぶりに一緒に仕事できるかという場面でしたが、実現しませんでした。それでも本番に遊びにいけてとてもよい刺激を受けました。
 庭園自体、東山を背景に素晴らしい景観なのですが、最も印象的だったのは二人のフラワーアーティストによるデモンストレーション作品でした。両氏とも対照的でありながら素晴らしい作品でした。携帯で撮影した写真があるのですが、「生」で見た印象とあまりに差があるため載せません。花は生き物ですからやはり「生」で見ないと意味無いのかなぁとか思いましたね。
 私は中山佳巳さんの「心」という作品が最も好きでした。あれ、「こころ」かな?「ココロ」かも知れません。文字での表記はどれが正しいのかはわかりませんが。
 三面ありまして両脇の面には花瓶が回転するように配置され、「流れ」を表しています。これは人の「心」の移り変わりを表しているそうです。中央の面には縦に太くしなやかに伸びる線が配置されています。「心」は様々に移り変わるけれども最後はまっすぐ「立ちたい」という願いを込めました。と中山さんは語っておられました。
 最後の挨拶で中山さん、日坂さんとも涙ぐんでました。両氏は学校の先輩、後輩で、いつか一緒に作品創りをしたいという「願い」があったとおっしゃっていました。それが実を結んだ「瞬間」だったのでしょう。
 とても「心」を打たれたし、お二人の「華」咲く瞬間でした。
 「想い」のこもった作品でした。デモンストレーションの作品も展示作品も。
 やはりイベントの現場は楽しいなぁとつくづく感じた一時でした。

 もう一つ、庭園の中に滝があるのですが、その源泉の水場は通常、石を飛び越え渡らなければならない場所がありました。展示本番時、小さな橋が架かっていました。景観を損ねないよう、元々架かっていたかのように。現場ロケハンに行ったときに「おばちゃん」が「ここは橋をかけんといかんなぁ。木の橋がいいなぁ。」と言っていたのを記憶しています。
 イベントにはそんなファインプレーがあるからおもしろい。
 いろんな意味でちゃんと「華」のあるイベントだったと思います。

 全ての関係者の皆さん、おつかれさまでした。
2007年09月11日
第36説 「音楽と絵と物語」
 さて、作戦ガラパゴスに頭が久しぶりに戻って来た。先日、演出のべんじゃみん(田中宗利)、舞台監督のとのさま(外村雄一郎)と会場であるART COMPLEX1928に行って来た。べんじゃみんが自分でチェロを弾いてみてくれた。うん。やはり弦楽器の生音っていうのはとてもいい!しかも今回の会場は広さも大きくはない。150人なんとか頑張って入れようってな広さだから、生演奏はとても贅沢な距離で楽しめると思う。夜には音楽を担当してくれるメーテル(植松さやか)と合流し、顔合わせとあれこれお話。楽器は6、7種になる見込み。
 素人耳には西洋の弦楽器というのはとても神秘的だ。
 音楽の部分は絶対素晴らしい出来になるに違いない。物語を芝居で楽しみ、生演奏が入る。うーん贅沢な舞台だなぁ。今のところ前売り2,800円、当日3,000円の予定だけど、満足度はかなりあると思う。
 さて、今回の物語はモーツァルトの奥さんが主人公だから音楽が登場するのは必然性もあるのだが、Mission3まで「音楽」という飛び道具は採り入れたいと考えている。演出のべんじゃみん、舞台監督のとのさまは元々音楽を通じて知り合った仲だし、とても音楽にも精通している。得意分野として存分に芝居に活かして欲しいな。
 そしてもう一つ、私自身の道楽がある。それは「絵」だ。高校の美術の時間以来ちゃんと描いてない。いやいや高校の時だってちゃんと描いてはいない。提出前日にやっつけで描いたに過ぎぬ。しかし、数年前から「絵」が描きたいなぁっていう想いはずっとあって、作戦ガラパゴスではMission1〜3、歴史では悪妻と言われている女性を描きたいなと。これは何というか3作を綴る通しテーマで、通しの表現だ。
 3作の物語を上演したあとには3人の女性を描いた「絵」が残る。
 それから「物語」。今月、戯曲上での決定稿を書いてしまいます。それはあくまで今回集まってくれた役者に合わせず作家の「物語」として決定稿を仕上げる。正直、1月に原稿、4月に初稿を書いて全く読んでなくて、苦労しそうだ。決定稿があがれば、べんじゃみんに渡し構成案の作成に入ってもらう。これは今回の役者、会場、音楽、舞台に合わせた構成なので楽しみ楽しみ。で、構成案を受け取り上演台本を私が作成。12月19日(水)に初稽古で読み合わせを行う。以降の改稿は構成、演出のべんじゃみんが行うと。ざっとこんな流れだ。ほんとは決定稿以降、渡し切りでもよいのだが、今回はよりべんじゃみんとの交流を楽しみたいのだ。
 上演される物語は私とべんじゃみんの共作ということになる。共作って難しいけど、より豊潤な舞台にするためには作家と演出家、演出家と役者、役者と舞台スタッフ、作家とデザイナー、制作と役者、制作と演出家などなど無数の共作が必要だと思う。誰が舞台の創り手かといえば全てのキャスト、スタッフといえるだろう。そして来場したお客さんと一体となって劇空間を共有する。それがどうやらLIVEってやつのようだ。

 そんな瞬間が幸せなのだ。

 「音楽と絵と物語」一繋がりになれるといいな。
2007年09月06日
第35説 「まつりのあと」

 夏が「あっ」と言う間に過ぎ去り、気が付けば9月だ。でも、暑い。。
 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)では「上方芸能まつりinミナミ2007」というイベントを開催していました。準備はあんなに大変だったのに始まった途端、「あっ」という間に終わってしまう。終わってしまうと「もっとああしたかった。」「ああすればもっとおもしろかった。」「もっとあの人と話せばよかった。」とかいろいろ考えてしまう。

 そして、大きなイベントの後はやはり寂しい。私自身、このイベントに携わるのは2年目なのだが、来年も携わっているかどうかは解らないわけで。最後の集合写真を眺めていると、去年いなかった人がいたり、去年いた人がいなかったり。2007年の上方芸能まつりは二度と戻ってはこないのだ。

 来年はどんな上方芸能まつりになるのだろうか。
 縁があれば、来年もこの場所にいれるといいな。
2007年07月19日
「第34説 オーディション」
 7月9日(月)人間座スタジオにて、作戦ガラパゴスMission1「コンスタンツェ モーツァルト」出演者オーディション開催。審査員は主宰・作の私、前原謙一(作戦コードネーム:けん)と構成・演出の田中宗利(作戦コードネーム:べん)。集まってくれたのは8人の役者さん達だったのだが、ほんといい人達に来てもらえた。そして選考の結果、全員に出演をお願いするに至った。
 しかし、主宰しておいて自分で言うのも何だが、8人も平日の昼間に京都迄来てくれるとは思ってなかった。結構、思いつき企画の第一弾。現時点で有名作家や演出家というわけでなく、高額な報酬があるわけではない。2,3人集まれば妥当だろうと。構成・演出のべんが声をかけた人が大半だが、それでも大したものだ。
 それに、ちゃんとレベルを持った役者さん達だったことと、何より不思議と最初から雰囲気がよかったのが嬉しかった。「この人達と舞台を創っていける。」と感じさせてくれた。そして打ち上げも盛り上がる予感。気が早い?いやいや、とんでもない。企画は打ち上げから逆算して立案するものだ。(笑)
 役者の皆さんには反復横とびをやってもらった。これがしんどい。私とべんで事前に1分やってみたのだが、とんでもなくしんどかった。「私達がこんなしんどい思いをしたのだ。役者諸氏にはもっとがんばってもらわないと。」というわけで、皆さんには1分30秒やってもらった。否、実は1分35秒。疲れてからの反応が興味深かったので。

 皆さん、おつかれさま。しかし、そういうしんどい運動を客観的に見ていると、個性が出るものだ。真面目な人、ルールがよくわかっていない人。忍耐強い人、投げ出しがちな人とかね。みんな個性的でした。

 とにかく、まずは8人決定!最終的には10〜15人の編成になると思われる。8月の初旬〜中旬には決定できそうだ。まずは飲みに行こう!夏だし。もっとたくさんメンバーのことを知りたい。
 お互いのことを伝えられる関係を創れれば、公演成功への最短距離を走ることができる。

写真:作戦コードネーム「てらっち」こと、寺尾毅(てらおたけし)・劇団ひまわり所属。
けっこう、楽しそうな表情。ほんとに楽しいのか、演技なのか。ランナーズハイなのか。
2007年06月13日
第33説 株主総会
 
 先日、株式会社フロントフィールドの株主総会が開催されました。中央の白い犬、「あいちゃん」が最高経営責任者(CEO)に任命されました。これで経営体制は万全です。株価も急上昇間違いなし。
あ。株は上場してないですね。。これからもしません。「あいちゃん」の許可が無い限りは。

 さて、ほんとは愛知万博や様々なイベントでお世話になった「おばちゃん」宅で、会社設立祝いをしてもらいました。左から二人目、オレンジのメガネの方です。おじさん?いや「おばちゃん」です。お好み焼きの味は天下一品です。愛知万博時は約1年、寝食を共にした仲です。職場が一緒だっただけではありません。マジで同じマンションに住んでいたのです。なんせ、本番185日。う〜ん。やはり万博恐るべしです。終わる頃には「人類皆兄弟」という言葉がリアルになってしまう。ちなみにおばちゃんのお好み焼きは「ジャパニーズピザ」と呼ばれ、他国の人にも大好評でした。

 初めて自宅に招かれてお邪魔したのですが、お好み焼きの味は二年前のまま。ご家族の方々は幸せいっぱいです。あのお好み焼きが日常なのだから。

 ご家族皆さん、奥さんの職場仲間の前ピー、末永く幸せな瞬間が多くありますように。。

(左からおばちゃんの息子さん、おばちゃん、奥さん、あいちゃん、私、前ぴー、そしておばちゃんの娘さんがカメラを撮ってくれてます。)
2007年05月14日
第32説「フェニックス計画」
 私は大学受験の際、勉強の計画を立てる時、「フェニックス計画」と名付けていた。意味は「計画倒れになってもフェニックス(不死鳥)のように蘇る。」である。まず、無茶な計画を立てる。「この通り勉強したら東大も受かるに違いない。」という程ハードなスケジュール。そして当然、怠け者の私は計画通りに勉強などしない。計画は程なく破綻する。懲りずに「フェニックス計画U」をつくる。程なく破綻する。懲りずに「フェニックス計画V」をつくる。これの繰り返しだ。結局「フェニックス計画30」くらいまでいったと思う。まぁ、バカバカしい行いだったが今も私は変わらない。将来の計画を「フェニックス計画」と名付け描き続けている。あまりに数字が増えるので最近は「フェニックス計画2007」とかにしてる。計画倒れになるのは変わっていない。
 しかし、計画とはまずは最大限で描くのがよいと思っている。あとで一つ一つ現実と向かい会い、諦めること、最後まで譲れないことを取捨選択していく。すると小さなことでも自分の成したいことが実現する。
 今、私は「企画」というのを仕事にしている。ここに辿り着いたのは「フェニックス計画」を続けてきた成果だ。そして今日も一つ「計画倒れ」になった。作戦ガラパゴス、大幅に公演数をカットした。
 気にすることはない。
 また描けばよいのだ。不死鳥のように。
2007年04月19日
第31説 「作戦会議」
 昨日、4月18日、「作戦ガラパゴス」の第1回作戦会議を行った。 いよいよ作戦開始だ。昨日は企画の概要を話し、日程や公演規模、予算についてなどを話し合ったのだが、まだまだこれからだ。舞台監督さんは京都にも舞台にも雑学にも詳しく、とても頼もしいと共に楽しい。
 作戦会議のあと、終電も無くなり、飲みに行ったのだが「あっ」と言う間に始電の動く時間になっていた。いや何とも美味しいお酒だった。マラリアに感染した時の話や砂漠で野犬の群れに襲われた時の話をした。これは誰に話しても受けがいい。どうもアフリカ旅行の話のネタは一生使えそうだ。最近では初めて会う人には挨拶代わりに話してるような気がする。旅行記も書き上げねばならぬが、ちょっと先になりそうだな。始電の時間が来ても、まだまだ話していたいくらいだった。
 作戦ガラパゴスの目的は@舞台芸術創造A人材交流B地域興業促進だ。演劇という舞台芸術を通じ、人材交流が成され、京都という街で新しい産業の創出ができればよい。そして、夢は海外公演だ。2010年、上海公演を是非ともやりたい。今は夢だが、2008年3月のコンスタンツェ モーツァルト、夏〜冬に田中宗利の新作2作の公演を予定している。2008年の公演を通じて、海外公演を実現するためのキャスト、スタッフ、スポンサーと出会いたいと思っている。
 やることは山ほどある。ただしそれに取り組むのは苦労では無く快楽である。
 夢にほんの少し近づいているのだから。
2007年04月02日
「第30説 夢と縁」
 4月。あっという間に迎えてしまった。設立から2ヶ月だけど実質的には4月から始動だ。最初の仕事は決まった。というか昨年と同じ仕事を法人契約に変更しただけだ。でも、それでいい。なんせ一人会社だ。やれることなど限られている。昨年の仕事を継続できるっていうのは、とても大切なことだ。それにとても好きな仕事でもある。
 内容は大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)のホール担当。劇場運営は会社の事業としたい部門だ。貴重な経験を積みながら、報酬を得て好きな仕事に取り組めるというのはとても幸せなことだ。それから、ワッハ上方の舞台には一生忘れられない思い出がある。それは私にとって初舞台のホールなのだ。今から10年前、吉本総合芸術学院(NSC)19期生の卒業公演。およそ300席の舞台に立って緊張したものだ。今はそこで仕事をしているのだから不思議だ。前原謙一の初舞台もワッハ上方、株式会社フロントフィールドとしての初仕事もワッハ上方。

 「縁」があるのだと思う。

 昨年の3月に友人がワッハ上方の仕事に呼んでくれた。ちょうど愛知万博を終え、大阪に戻っていて会社の設立準備をしている時だった。会社の事業内容は舞台公演の企画、イベント企画、劇場運営を柱にしたいと考えていた。そしてタイミング良くお呼びがかかったという訳だ。その友人から連絡をもらったのは7年振りくらいだったと思う。彼女とは「なんばクリエイターファクトリー」というところでイベントプロデュースコースに参加して知り合った。そして、天王寺でクリスマスイベントを共に手がけた。ただそれだけの関係だ。で、久しぶりに連絡があったと思えば、劇場の仕事の誘いだったのだ。気が付けば、昨年一年、共に働いている。もう立派な仕事仲間だ。

 「縁」があるのだと思う。

 10年前、私が漫才を始めた頃、演劇活動を開始した友人がいた。田中宗利。以来、時々会っては近況を話したりしたものだ。昨年、またまた「なんばクリエイターファクトリー」で、今度は舞台制作コースっていうのができていた。劇団を立ち上げ一回ぽっきりの公演を打つという企画。そして田中宗利を誘って参加した。公演会場は劇団そとばこまちアトリエ BLACK BOX。十三だ。田中宗利と出会ったのは、なんと十三だ。15年前、大阪北予備校のアルバイトで共に働いた。大阪北予備校は昨年、廃校になった。入れ替わるように初めて演劇公演する場所が十三。

 「縁」があるのだと思う。

 どの「縁」も計画して結果を出せるものでは無い。今、夢と現実にどれだけ差があったとしても、取り組んでいることがいかに小さな事でも、いつか大きな「縁」として巡ってくるのだと思う。だから夢だけは捨ててはいけない。夢さえ持ち続ければ、どんな形であれ望んだ機会が来る。そのタイミングで実を結ぶかどうかが「縁」なのだ。機会はあっても「縁」が無ければ実を結ばない。

 「夢」は「縁」によって実現することがある。
2007年02月21日
「第29説 設立日」
 本日、法務局へ登記謄本を出しに行った。無事、会社は設立されていた。一安心。一つ勘違いしていたことがある。会社の設立日である。謄本には会社の設立年月日が記載されているのだが、確認してみると2月2日であった。私は2月2日に定款他必要書類を提出し、登記完了予定日が2月8日と伝えられた。登記完了を持って会社設立だと認識していたのだが、提出日の2月2日だったのだ。
 幾人の人から2月8日に「おめでとう」と祝いの言葉を頂戴したのだが、間違っていた。その時には設立していたのだ。2月8日は登記完了予定日ということだったのだ。
 なんというのか、益々味気ないもんだ。
 とにかく設立されたことは確認できた。これから会社法人としての活動が堂々とできるわけだ。
 税務署等への届出も済めば、ようやく実務に力を注いでいけるというものだ。

 しかし、こうやって実際に会社を設立してみると、働く環境を自ら創るっていうのは結構パワーがいるものだ。これからも経理処理なども自らやっていかないといけないし、初体験の連続だ。多分丸一年過ぎてみないと一通りの流れは解らないだろう。
 会社を創るのは「思い切り」だけあればできると言ってきた私だが、人に会社を創ることを勧めるかといえばそうでもない。今、会社に所属していて仕事に満足しているのなら、その環境で続けることをお勧めする。今、在るのが当たり前のその環境も誰かが苦労して築いたものなのだ。「仕事」だけに集中できる環境に恵まれているなら何よりではないか。
2007年02月20日
「第28説 手続き」

 会社を設立するには一定の手続きが必要だ。まず定款という会社の骨格を成す書類がある。名称や所在地、資本金、取締役についてなど、会社の基本情報を記したものだ。これを作成し、法務局に登記して会社設立となるわけだ。この一連の作業ってのはそれなりに手間がかかる。ただ、私の場合はあまり面倒臭いとも思わず、楽しみながらやれた。何というのか、「つくっている感」がかなりあったし、公証人役場や法務局などこれまで縁の無かった所に出入りするのもわくわくしたものだ。
 しかし、こちらは初めて会社を設立する作業で新鮮だが、受ける公証人や法務局側としてはいつも通りの退屈な作業なのかも知れないなと思う。いづれも何だか味気無い対応だった。「設立おめでとうございます。よっ社長!」なんて反応は皆無である。やはり所詮「手続き」に過ぎない。法務局なんて設立登記の申請すると設立予定日を教えてくれる。そして予定日迄に何の連絡も無ければ設立なのだ。私の場合、二月二日に申請を出し、設立予定日が二月八日だった。何の連絡も無かったので、設立日は二月八日なのだ。
 設立日の実感ゼロだな。全く。登記登録料だけでも15万円もかかるわけだから、もうちょっと愛想よくできないものだろうか。味気無いったらありゃしない。
 そして今日は法人設立届けを出す準備をしている。税金の納め場所に対して届け出が必要なのだ。設立したら自動的に納めるべき役所から案内が来るのでは無く、自分で届出を出さなければならない。私の場合、京都市の中京区が会社の所在地なので、中京税務署、京都市、京都府に対して届出が必要なのだ。一箇所でできないのか!と思ってしまうのだが、各所で納める税金の種類が違うため必要なのだ。不思議と法務局より税務署の方が味気があった。これからの付き合いがあるからだろうか?
 会社にはたくさんの手続きがあるものだ。今のところまだまだ楽しめてやれてる。知らなかったことを知るのはやはりおもしろいもんだ。会社を設立することも一生のうちに何度もあることでもないだろうから、楽しまないとね。明日は再び法務局に行って、登記謄本を出してもらいます。
 ほんとに設立したかどうかは明日わかる!けっこうドキドキするな。
 「あ。設立できてません。」なんて言われたら、どうしよう。
 「連絡無かったら設立とちゃうんかい!!」と怒鳴るに違いない。
 手続きはドキドキである。
2007年02月12日
「第27説 継続」

 2007年2月8日、ようやく会社設立となった。なんとも予定より随分かかってしまった。そしてこの「社説」。最初の方ははりきって書いてたけど、すっかり書かなくなってしまった。最後に書いた第26説は8月16日だから。もうええやろと正直思っていたのだけど、「社説」ってのはおもしろいなと思い直し、再開。
 きっとこれからもしばらくは書くけど、いつかまた止まってしまうに違いない。7年程前から雑文は多々書いているのだが一時的には一気に書くのだが必ず止まってしまう。小説や旅行記を何度か書き始めたのだが、それも途中でやめた。再開する気も無い。一度途絶えてしまうと、その作品は死んでしまうのだ。二度と同じ温度には戻らない。
 今年の年明けに戯曲を書いた。これも途中でやめてしまうのが非常に怖かった。だからエンドマークを付けることだけを目標に一気に書き上げた。これは私にとってはすごいことだ。エンドマークまで行っただけでブラボーなのだ。秘訣があった。〆切をつくったのだ。〆切が迫って徹夜続きで書いたのだ。馬鹿馬鹿しいようにも思えるだろうが、作戦は大成功だ。書いた物語は完結したのだから。
 作品が良いか悪いかは私自身には解らない。だが、文章を書き始めるきっかけになった言葉を思い出した。「良し悪しは自分で決めるな。」である。これは書き物に限らず、全ての「表現」に共通して言えることだろう。音楽も絵も物語も「良し悪し」は相対的なものだ。
 そしてもう一つ。この戯曲は公演することを決めた。人に観てもらう〆切もつくったということだ。これはとても勇気のいることだ。自分の描いた物語を人に観られるっていうのはかなり恥ずかしいもんだ。しかし、それでも発表するのは「良し悪しは自分で決められない」からだ。結局、観客がいて初めて作品は完成だ。
 更にもう一つ。公演は1年に1回、5回やると決めた。1作目がどれだけ不評だろうがやる。そして5作やってどれほど好評だろうが企画としては終了だ。

 飽きっぽい私にとっては「継続」するというのは非常に難しいことだ。会社を設立するのは正直誰でも出来ると思う。手続きさえ行えば設立できるのだから。必要なのは「思い切り」だけ。だが「継続」することは思い切りだけではどうにもならない。
 とても低い目標のようだが私は50歳迄はこの設立した会社を「継続」しようと決めた。私は決めないとやらない男だ。気が付いたら20年やっていた。なんてことは絶対ない。だから今決めておく必要があるのだ。50歳迄はやる!
 なぜ50歳迄かって問われると、一生やる自信はないからだ。今34歳。45歳くらいに次の10年は考えればよい。人の心は常に変化するものだ。一生がんばります!など口が裂けても言えない。
 50歳迄がんばります!
 会社も社説も。


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