|
|
第51説 「夏は夜、夜は闇、闇に灯り」
今日から祇園祭「宵山」です。17日の山鉾巡行までの3日間。賑やかで華やかですね。夏は夜。涼やかな祇園囃子のコンチキチンと提灯の灯りが美しいですね。オフィス街の灯りはとても控え目です。山鉾を美しく見せるために規制しているのかな?詳しくは知らないのですけど。今、ライトダウンのイベントが時代に沿っていますね。エネルギー問題などに取り組む意識付けとして開催されることが多いようなのですが、私はライトダウンによって「美しさ」を表現できることが多々あると想います。
街の灯りをこの日、この場所、この時間には皆で消して、星や月の明かりを楽しもうとか、蛍の灯りを楽しもうとか、火の灯りを楽しもうとか。「美しい街」とは?「美しい夜」とは?どんな景色だろう?私は夜は闇があるからこそ美しいのだと想います。不夜城は特別な場所として存在価値はあるのだと想いますが、街全体が不夜城になっちゃうと美しくないなと想うのです。
「図書館意外の文化施設は無価値」と言った現在の大阪府知事は、府内の名所をライトアップし御堂筋をイルミネーションで装飾するといった「大阪ミュージアム構想」なるものを掲げておられるそうだ。知事が言ったからには大阪府という行政機関の言葉であり、意思である。街全体をライトアップとイルミネーションで大阪ミュージアム構想。反対です。お金がかかるからではありません。お金がかからないからでもありません。
美しく無いからです。
関西には闇のちゃんと存在する京都の夜や、六甲山からの絶景の街灯りを持つ神戸が在る。それに大阪の夜といえば難波道頓堀の派手なネオン街だ。異国か別世界かはたまた近未来を連想させる異空間である。この場所にだけ許されるような無秩序的な美が大阪には在る。
大阪を京都や神戸みたいな街にしようというのは無理がある。大阪には大阪の個性があり、そこに自信と誇りを持つべきだ。街全体をミュージアムにするというコンセプトは京都が実現している。世界遺産、古都京都は街全体が遺産なのだ。抜群のスピード感や行動力で成すことではない。千年の時を経て街の価値というのは育つものだろう。
街を育てるならば、百年の計、千年の計が必要では無いか?
大阪府の財政再建案は緊急予算であり、当面の出血を止めるためのものだと言う。行き当たりばったりの止血で文化施設や団体を切り捨ててしまうのか。夢やビジョンは財政再建してからだと?それは本末転倒だと想う。夢やビジョン、理想や理念があっての財政再建で無くては単なる破壊にしかなるまい。財政再建は必要だ。そこに異論は無い。これだけ財政再建という府の方針に多くの人が関心を寄せ、議論している。そこに価値は在る。今こそ知恵を出し合う機会なのだ。
大阪府という行政機関が打ち出すべきなのは、正に財政再建を盾に先送りにした夢やビジョン、理想や理念だ。どんな夢とビジョンを持ち、どんな理想と理念を掲げ、それらに向かうために現実を分析し、夢やビジョンという方向性を示すことが政治であり、行政の営みであろう。
最後に本文は大阪府知事個人への中傷では無い。大阪府知事個人への過度の中傷や賛辞は危険だ。彼は個人では無い。公人である。彼の言葉は大阪府という行政機関の意思であると捉える必要が在る。いつまでもタレント扱いはいかがなものか。各メディアのジャーナリストの質を問われる局面だ。社会的視点で記事、放送に取り組まれることを強く望む。あまりに政治をエンターテイメントにしてしまっているように思えてならない。
夏は夜。夜は闇。闇に灯り。
美しい街創りに向けて、私個人としても会社を通じての事業を通しても活動していきたいと想います。



|
|
|
|
|
|
第50説 「講演会終了」
昨日、大谷大学 短期大学部 文化学科 新入生歓迎講演会、〜「発想」は出発。「創作」は過程。「表現」は結果。〜終了しました。楽しかったですね。新鮮でした。
学生の方々にとってよかったかどうかは解りませんが、講演した側は楽しかったですね。
単純に大学という場所も新鮮でした。また大学とか行きたいなと思いますね。今だったら勉強したいこととか研究したいことが結構あるのだけど、自分が学生だった頃にはあまり勉強や研究に時間を費やさなかったです。勿体無いなと思いつつ、大学生時代を振り返ってみるとそれほど後悔も無い。遊んでばかりでしたがそのおかげなのか、それほど遊びに飢えることもなく日々過ごせてるかなと思います。
ん?仕事が遊びになってるからかな?劇場の仕事やイベントの仕事はやはり楽しいですね。遊びと言えなくもないです。ただ、対価を得て取り組むとなるといつの間にか「値段なり」の取り組みとなってしまったり、時間や労力のかからない取り組み方になったりと合理性を追求することになってしまうんですね。
「生涯学習」って言葉が最近気になるのだけど、私自身が現在、学問を欲しているんだろうなと感じるんですよ。聴講生でもいいからやってみようかな・・・ |
|
|
|
|
|
第49説 「講演会」
今度5月21日(水)に大谷大学で講演をやることになりました。偉くなったものです。滅多に無い機会なので思いっきり偉そぶって賢こぶってきます。
講演までにヒゲを生やさないといかんなと本気で考えましたね。ハクション大魔王のような先っちょがクルリンとしてるやつです。ヒゲのクルリンを伸ばしながら「キミタチカクカクシカジカナノデアール」、ヒゲを離し再びクルリンになる。などと想像してニヤケテいると、担当教授の方から「学生の実感しやすいように」という依頼でして。
ま。
偉く賢い講演は期待されてないってことです。偉くないし、賢くないからよいのですがね。
講題は〜「発想」は出発。「創作」は過程。「表現」は結果。〜です。3月に公演しました作戦ガラパゴスMission1「コンスタンツェ モーツァルト」を題材に「発想」という出発点から企画書を具現化し、「創作」という過程の中で戯曲という形で物語が具現化され、「表現」という結果では演者という人を通して具現化される。客席から観れるのは最後の結果だけです。今回は出発点から過程を経て表現に至るっていうところを伝えられるといいかなと想っています。
折角なので楽しんで来ようかと。
「コンスタンツェ モーツァルト」の構成・演出を担当してくれた田中宗利氏と、同作にてアントニオ・サリエリを演じてくれた近藤貴久氏を迎え、演出家と役者のコミュニケーションを生徒と交えて実演もします。やっぱし体験ものは好きですね。私は。「LIVE」は生ものですから、演劇の映像だけみても解りません。体験するのが一番伝わりやすいし、観てても実感しやすいと想います。
誰でも観にこれるので、時間の許す方は是非おこしやす。
概要
タイトル:大谷大学短期大学部文化学科新入生歓迎講演会
講題:〜「発想」は出発。「創作」は過程。「表現」は結果。〜
講師:前原謙一(株式会社フロントフィールド代表取締役)
出演:田中宗利(劇団ひまわり)、近藤貴久(劇団ガバメンツ)
日時:2008年5月21日(水) 12:50〜14:20
場所:大谷大学 響流館3F メディアホール
京都市北区小山上総町 地下鉄北大路下車 出口(6)すぐ
|
|
|
|
|
|
第48説 「再び上賀茂へ」
昨日、行ったばかりだというのにあまりの天気の良さに再び上賀茂へ。お天気の力には勝てない。ついこの前まで寒い寒い京都だったのに、心地よい時間というのは一瞬だ。じきに暑い暑いと言わねばならない。夏の上賀茂もさぞかし美しいのだろうが、くそ暑いのにチャリンコでウロウロする元気などあるものか。












あー、明日も行こうかなぁ。
|
|
|
|
|
|
第47説 「上賀茂詣り」
今日は仕事は一切せず、上賀茂神社に参拝。「上賀茂詣り」という物語を描こうと想ってまして。自転車でふらふらっと参りました。賀茂川は桜は散ったものの、菜の花でいっぱい。川中島に黄色が広がり、とても美しい風景です。山と川と花。日本の風景と一目でわかる。

さて、この上賀茂神社。ソメイヨシノが散ってしまっても、枝垂桜が見事に咲き誇っています。この一本桜。「見事」という言葉はこんな時に使うのだなと認識させてくれるぐらい「見事」。

近くで見ると、花の洪水だ。

咲き誇る花というのは、何というか「狂おしい」ですね。「今」が絶頂って感じで。やがて儚く散ってしまう。永遠に咲くことがないからこそ、狂おしくも美しい。

花が天にまで届きそうだ。「花鳥風月」という言葉がありますが、花が咲き、鳥が飛び、風が吹き、月が出たような瞬間の絵って、美しいだろうなぁと想いました。

「上賀茂詣り」は落語や浪曲のように一人語りの物語として描こうと想っています。上賀茂神社は「旅」の安全などのご利益のある神社です。「旅」を終えた人が上賀茂神社に詣でるという設定で、旅の想い出や、帰郷の心情を語るというような内容。
旅の噺を面白、おかしく語り、「花鳥風月」の美しい風景描写があり、帰郷を喜ぶ人情を交えて表現できるといいなと想ってます。
うん、なかなかよい感じで描けそう。
|
|
|
|
|
|
第46説 「桜」
本日、お花見に行きましたよ。京都瀬割鼓。阪急大山崎と京阪八幡の間くらい。淀川と木津川の川中島みたいになっている場所なのですが、ここの桜はなんとも見事なのです。3月に「コンスタンツェ モーツァルト」という芝居をやったのですが、当日パンフレットの裏面に桜を描きました。その桜も、この瀬割鼓の桜です。「ああ。この桜だな。」と描いた桜を眺めてきました。一般的に植えられている桜は「ソメイヨシノ」という種類なのですが、今日表示を見て意外だったのは、桜はバラ科なんですね。一つ一つじっくり眺めてみると確かにバラっぽい。それにしてもぎっしり、たっぷり花をつけた枝は見事。近くで見ると「とうもろこし」のようだ。
 
そして引きで全体を見渡すと一つ一つの桜の木が一つの花のように、並んでいます。花の陰はピンク。光は白。枝の黒のバランスが絶妙。空の色。山の色。桜の色。緑の色。土の色。どこを切り取っても美しい風景。トップページの桜も瀬割鼓の桜です。この時は抜けるような空の青とのコントラストが絶景でした。子供がテクテク坂を駆け上がる情景もよいですね。今年はちょいと曇ってましたが、うぐいすの鳴く声と少し冷たい風が一層情緒を豊かにしてくれます。「また、春が来た。」とね。
桜の季節には節目であることが多く、様々な想いが脳裏を駆け巡ります。

※写真は携帯で撮ったのでイマイチの画像ですが。。。やっぱ生で見ないとね。
同じように繰り返す日々も、同じように繰り返す年も、重ねてゆくごとに変化し、深化していくもののように感じます。1年前、2年前、5年前、10年前、そして1年後、2年後、5年後、10年後と時間は流れ、私にとって一繋がりの物語が流れるようで、桜を眺める瞬間、ちょっとだけ数十年の旅をしているようで好きです。過去の記憶、未来の想像。それらは一繋がりの「時間」、「物語」なのです。
また、来年、瀬割鼓の桜を見にこよう。今年と同じようで、変化し、深化していくことでしょう。
今よりほんの少しおだやかでやさしい気持ちになれる。
|
|
|
|
|
|
第45説 「税金」
今日からガソリンが安くなるそうで。あまりに不勉強でそんなこと全く知りませんでした。暫定税率期限切れ?何それ?醤油は高くなる?それは油繋がりなのか?
今日、随分送れて法人市民税を払いに行きましたよ。結局、法人として国税、府民税、市民税と三種類、申告して納付しなければならない。思えば会社設立から丸一年経ち、初決算も終わり、初納税もようやくこれで終了だ。しかし、会社を一つ立ち上げ、芝居を一本やったら300万くらいあった貯金がゼロになったぞ。えらい金使いの荒さだ。しかし、なかなか濃密なお金の使い方だった。10年分の発想と経験を得た。と勝手に想ってる。芝居の集客状況見ながら、有り金で足りるのかな?とか想像しつつ、スリリング。
貯金ゼロっていつ以来だろうか?結構緊張しますね。次の引き落としまでに○○銀行にいくらいれなければならないとか、頭を使いますね。このスリル。なかなかよい。今年からは稼がなあかんな。いやいや、そんなボロ儲けのネタは無いから節約だ。煙草をやめるか。いやそんな劇的に節約にならない。酒をやめる。いやいやつまらない。せめて、風俗を・・・。ま、遊びは遊びとして大切にしていこう。慎ましやかに。
で、税金だけど、暫定税率ってなんなんだ?皆知っているのか?テレビや新聞でも当たり前のように語られていて、暫定税率が何たるかを全く説明されないのだ。それを説明する時期はとっくに過ぎたようで。完全に乗り遅れた。10年分の発想と経験を得ただと?それは大きな錯覚かも知れないな。 |
|
|
|
|
|
第44説 「特別な場所」
最近、専らの話題は橋下府知事の公共施設の予算見直しについて。よく聞かれますね。何億も赤字なのか?やら、たくさん人件費をもらっているのか?やら、公務員になるのか?やら。
現在、当社は大阪府立上方演芸資料館(愛称:ワッハ上方)のホール担当業務の一部を取り扱っています。ワッハ上方は既に府の直接運営ではありません。指定管理者制度により、NPO法人が受託して運営しているのです。そしてホール業務は日東カストディアルサービス株式会社という民間企業が担い、日東カストディアルサービス株式会社から株式会社フロントフィールドの業務契約として受注している。というのが私に限っての業務上の関わり方です。料金については、明示することはできませんがかなりボランティア価格で担っているつもりだ。
通常の施設運営を担うにあたっての人件費より格安で請け負っているし、ワッハ上方主催事業での簡単な企画書、台本、印刷物のデザイン等は制作費として請求はせず、人件費内の業務として大半取り扱っている。正直、この仕事だけでは大人一人生活していくのも困難な値段だ。
私は「公営施設」への関わり方としては「ボランティア」だと思っている。お金貰っているからボランティアでは無いと言われれば心外だ。「ボランティア」とは「無償の活動」では無く、「自発的な活動」を指していると理解している。
昨今の報道をみていて感じるのは、大阪府から各施設の運営状況を視察しているように映っているが、大阪府自身が目的としている運営は何なのか?が全く報道されない。議論もされている風もない。寧ろ、大阪府知事として、大阪府の施設運営の目的や目標を運営を担っている民間企業や法人に先に示すのが筋だろう。オリエンテーション抜きにプレゼンテーションなんぞ出来るものか。
そして、府の財政問題として扱うにあたっての考察、判断は当然府内で行うべきだし、何より府民に問うべきだと思う。また、その考察、判断には最低でも1年、2年はかかるはずだ。「時間」をかけずに判断することは避けて欲しいものだ。ワッハ上方に関してはビルの賃貸料等が財政負担として大きいことから、「この場所でなければならないのか?」ということが論点となっているようだが、10年以上かけて育て、耕してきた場所を捨てるのは簡単なことでは無いと思う。文化、Cultureの語源は「耕す」である。ある場所を長い年月をかけて、耕してこそ育つものだ。移転は最後の最後の判断にして欲しい。10年くらいで移転して文化・芸術など育てられるものか。これからの10年、重ね重ね人も物も入れ替わり100年続けてやっと育つものだろう。そうしてこそ、やっと一つの「特別な場所」を創ることができるのだと信じている。
10年以上前、私がお笑い芸人だった頃、初舞台の場所がワッハホールだ。展示室も劇場も多くの人にとって交換不能な場所になっている。今の私にとって既に「特別な場所」なのだ。
10年後、20年後、現在の業務をしていなかったとしても、この場所が残っていて欲しい。
多くの人にとって「特別な場所」で在り続けますよう願います。 |
|
|
|
|
|
第43説 作戦終了
作戦ガラパゴスMission1、作戦終了。兎にも角にもやってみよう企画。キャスト、スタッフの皆さんには大変お世話になりました。どうもありがとうございました。 |
|
|
|
|
|
第42説「本番間近」
いよいよ「コンスタンツェ モーツァルト」本番迫る。まだまだ満場ではない。勿体無い。生演奏付きの芝居を前売り3000円だ。安い。と思う。きっとよい舞台になる。京都に1000人、前売り3000円、4日、7ステージ。公演の価値は大いに在る。場所はART COMPLEX 1928。三条通りと寺町通りの交差する辺りにある。いい場所だ。東海道の始点、三条大橋を渡るだけでも、寺町通りを歩くだけでも、特別な場所、特別な時間にしてくれる。お芝居を観て京都を歩いて春を想うことができれば、きっといい一日として記憶に残る。いつか将来、京都で芝居を観たあの日は幸せだったなぁと想う瞬間があればと願う。
しかし、必死こいて集客するっていうのはいいことなんだろうか。無理なく集まる人を迎えるのが健全な気もする。例え少ない来場者でもいいじゃないか。一人でも芝居を通じて幸せになるなら、ちゃんと価値はあるのだ。
大規模に企画してしまったのが自分の首を絞めてしまったな。最大限の結果を追うよりも、最大限の充実を目指して企画するべきだった。
作品は作者の手を離れ、演出家と役者、音楽家と奏者によって創り上げられたものになっている。私自身も初演が楽しみだ。どんな物語が展開され、どんな「LIVE」が体感できるのか。
Let’s LIVE |
|
|
|
|
|
第41説「存在感」
3月に公演する「コンスタンツェ モーツァルト」でアントニオ・サリエリを演じる近藤貴久(劇団ガバメンツ)。通称、こんちゃん。オーディションの時から、いやいや、応募書類の時から抜群の引力を持った存在感を持っていた。稽古も本格的に始まり存在感は増すばかり。存在感というのは努力して得られるものではない。天然ものである。天から与えられたのだ。天才だ。「存在感」には大きく二つの種類があるように思っている。発散型と吸引型。発散方は強烈な光を放つ。よく太陽に例えられる、身体から光を放つかのような存在。吸引型は太陽に対するならブラックホール的な、その人に引き込まれるような引力を持った存在。
彼は吸引型。だと思うのだが、ブラックホールって感じでもない。明るいし。太陽の光を浴び光輝く。重力の強い巨大な惑星という感じで、木星のイメージだ。感覚だけだが。
アントニオ・サリエリは映画のアマデウスでモーツァルトに嫉妬し殺害を企む役で描かれています。本作では一体どんな人物なのでしょうか。
是非、こんちゃんのサリエリをお楽しみに。
 
稽古前、精神統一。真剣な眼差し。しかし、考えていることは、「おなかすいたなぁ。」だったりして。 |
|
|
|
|
|
第40説「年男」
あけましておめでとうございます。ホームページをご覧の友人知人の皆さま、今年は年賀状も出せずごめんなさい。大晦日から元旦にかけて今年3月に上演します「コンスタンツェ モーツァルト」の台本を仕上げていたのです。コピーをフェデックスにとりに行き、チケットを振り分け、そして役者、関係者へ発送。これがまぁ手のかかること。年賀状を書く余裕を根こそぎ削がれました。台本や絵を描く方がよっぽど楽だ。
さて、今年は年男です。5月に36歳になります。この前の年男は24歳。ちょうどお笑い芸人を始めた頃。12年も経ったのか?ついこの前のことみたいに感じるが、時間は流れている。今年は芝居をやる!という今年。今年は芸人をやる!と言っていた12年前。どうやら、人は進化しないようだ。
次の年男は48歳。進化より深化できますように。 |
|
|